息子が「だけど」「でも」を会話の開始時に活用しているので、
自分への戒めも含めて使い方を調べて生活に取り入れようと思った。
定期的に言葉の使い方について戒めたいポンコツ看護師なのであるw
昔の自分は「だって」「でも」という言葉を
呪いの言葉として表現していたっぽいw
自分の主張にのみベクトルが向いているから、
相手の言葉をすべて覆いかぶさるように主張をぶつけるための
「だって」
「でも」
でもそれって自分の主張以外に興味もないし、
状況的に相手を論破したいことが多い。
という生活をしていて感じる印象
だから、相手の言葉の背景にある意図を読み解く
=聞く耳を持つことが大切
だと結論付けていたw
確かに今もそう思う。でも、思うだけではなかなか身に付かないので
実践編を考えたい
適当に調べてみる
「だけど」「けど」「だけれど」
は逆接の接続詞。句と句、文と文を結ぶんだと
・普通だったら「そうなる」とは思えない場合に使ったり、
・事柄に対して対照的な事柄を対比して述べる場合に使ったりする
・前の事柄に対して、話し手の意見や感情を述べる場合にも使うんだと
→漠然と使いすぎてて、
話し手の意見や感情を述べるから、私の意見や感情を述べる形に変化しているなぁ~
ということに気づく。
「でも」も逆接の接続詞
後続する分が、先行する分と相反する関係であることを示す
まぁ、細かいことは知らんけど使い方は一緒そう(ここまで調べろやw)
例文とかも読んでいても必ず、
○○だけど、△△。
○○。でも、△△。
う~ん、自分の主張のために
文の始まりから「だけど~~」なんて使ってないんよなぁ。
○○だけどの、
○○部分が相手の話を聞いているというアピールにもなるし、
相手にも自分にも双方向で話の本筋がわかる重要な文章なんだと感じる。
自分にだけ興味のベクトルが向いている接続詞の使い方だから、
話の軸がブレるようだの。
話を聞いて、それって〇〇という相手の主張や感情・思いを正しく理解する。
そのうえで相手に必要だと思われる自分の意見や感情があるのであれば、
○○を相手に返したうえで、
「だけど」「でも」で主張していきたいもの。
子どもが使い始めたってことは、
自然に自分が呪いの言葉を使っているんだなぁ・・・
なので、まずは話を受け止める・受け入れる姿勢を念頭に置くことは続ける。
実践編として
相手に必要な自分の発言は
相手の話を繰り返したのち、
接続詞を挟んでから
発言をしていかなきゃいかんな。
一番の呪いの言葉だと感じている
「だって」の使い方も注意をしたい。
接続詞なんだか、助詞なんだかよくわからんけど
相手と反対の意見または同類の意見を述べるときに使うんだと。
おもろいことが書いてあって、
相手の反対を予想しつつ理由や言い訳を述べる場合に使うパターンが多いとのこと
普段自己主張や反対意見を述べたいだけで
「だってさぁ」とか使っているけど、
相手の反対を予想してなくね?
結局、無意識的に一方通行の会話を成立させたいんじゃ?
または自分に自信がないのかあるのかわからんけど、自分の世界観の押し付けをしたいのか・・・?
相手ファーストという思いを形にできるのが言葉だし、
正しく国語を学んでいきたいものである。
学生時代に国語苦手~とかで棚に上げていたのが今になって大ダメージを受けているw
昔はマジで勉強する意味を捉えられなかったなぁ~
でも、今から頑張れるのも人間の良いところ
ここまで読んでくれてあとんす