どうも、こんにちは。
所詮かねこなんでと言われてもちょっと興味をくれると嬉しいです!
「私はあなたが困っているとお見受けする」
さて、私はあなたのニーズを満たすためになにができるのか?
看護師である以上、
最大の命題だと思う。
看護師でなくても普通に生活していれば
大きいものから小さいものまで感じるものはあるはず
よかれになってませんか?
っていう自分の戒めのために吐き出したいと思う
・そのアドバイスって必要??
あぁ~困ったなぁ・・・
という場面で、これが常識といわんばかりでアドバイスを受けたらどう思う?
それがテストの勉強や、業務における解が絞れる事項なら受け取りやすい。
でも、自分の価値観に対するものだったときどうだろうか・・・?
わたしとあなたでは当然持っている知識はもちろん、経験値も違うし価値観も違う
あなたの成功体験や学習のプロセスにおいて、合理的なアドバイスをお伝えしても
わたしは受け取りにくい
終末期ケアに限らず、手術後など医療用麻薬や精神病薬を使用する場面がある。
わたしたち医療職者にとって、
痛み
不快感
吐き気
眠れない
せん妄などへの対応では、当然のように使用する判断になることが多い
小さいことでは、体を拭かせてもらったり足浴などのケアでも同様だけど、
医療者目線では苦痛の緩和や清潔保持の目線で当然必要なことだけど、
患者様・利用者様にとってはよかれの押しつけになっていないか?と疑問に思う。
痛いのに痛み止めを飲んでくれない
足が角質で岩石のようになっているのにケアを受け入れてくれない
家に帰りたい→帰れる身体状況じゃない/自宅の環境が整っていない
色んな訴えに対して、「この人はこういう人だから」というバイアスがないか
「なぜ?」とフラットにシンプルに疑問を抱けるのかどうかがニーズの把握には必要になってくる。
そもそも、よかれが発生するときは
よかれを施す側が優位な状況だと勘違いしていると思うんだ。
「おれは知っているよ!」
「おれはこう解決したことがあるよ」
「そんなこと知らないの?」
とか。
教育とか、コーチング的な目線だと自分で解決に導ける問いかけこそが重要だと解釈している。
悩んでいることの見える化、
明確にアドバイスを受けたい事柄への回答、
体験を語る
などから、自分で解決への筋道を立てるために寄り添うことが大切だと考えている。
言葉・いいまわしも重要。
なにせ困っているのは相手だから、相手に伝わる表現をしないといけない。
何の研究結果か忘れたけど、
お看取りが近くなった時の医師から家族へのインフォームドコンセントの場面において
「決めてください」
と言われたときと、
「○○してあげたほうがよいと思います」
という言葉の表現では後者の方が心象良いという結果がある。
また、心象がよいという研究では、
死が直前に迫っているときにはっきり言葉にする(49%)
はっきりとは言わないが一緒に何かをするほうが(82%)
とこれも後者の方がよいというがわかっている(お看取りまでに何かできたというきっかけに繋がっていることも大きい要素)。
その人の生きざまに興味をもち
共感しつつ、
寄り添うこと、
伝えかたを考えることが生きていくうえで必要だなぁと考えさせれる
アンテナを張って相手の価値観に興味を持ち、ニーズを満たすためにトライアンドエラーをしていくことこそが自分個人にとっての生涯学習なんだと思う。
ブッダ的に自分の価値にこだわる心=慢
慢は、プライド、傲慢、虚栄心、劣等感、自信がない・・・などなど
いかに自分の判断が正しいかと思い込んでいる状態なんだってさ
まあ、自分の体や頭のことだし自分が正しいと思っちゃうのは当然だけど、
自分以外もそう思っていることが”わかっている”と、
よかれの押しつけにはならないと思った。
なんせ正しいかどうかの判断は相手が判断することだもの。
無知の知とはよくいったものである。戒め。
よくこんな文章に目を通しくれたものである。感謝感激雨あられ
ここまで読んでくれてあとんす